政治・経済・世の常

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2009年07月03日

急逝後、毎日のようにマイケルジャクソンの話題が報道されていて、つい気になります。
彼の活躍のピークはバブルの80年代と重なっていて、当時の私はまだ洋楽なんぞ縁の無い「部活女子」でしたから、憧れも親近感も欠片もありません。大人になってから「ウィズ」を観て「なんでこの人、こんな仕事請けたんだろ?」と思った程度のものです。

後年の整形による崩れた顔と真っ白な肌がとても奇妙で、天才や神様というよりは、キテレツな変人という印象の方が強かったのは私だけではないでしょう。ましてや、真っ白になってからは歌ったり踊ったりしている姿を見ていないせいもあって、カッコいいと思うような対象ではそもそもなかったし、子供への偏愛などのゴシップ記事が、いっそう変人くさくて、何が凄いんだか、という感じでした。

しかも私は青春時代にマルコムXの大ファンになり、彼の自伝を穴が開くほど読み、その他の関連書籍を読み漁ることで黒人を含む人種差別の苦労などを聞きかじった気分になっていたし、そういった運命の彼らに、深い尊敬と同情の念を持っていたので、安易に白人化を好んだように見えたマイケルは、本当に変なキモいオッサン、という感じで横目にみていたと思います。


ところが、遺言状の公開をみてぶったまげました。なんと、ダイアナ・ロスですよ。
遺した我が子の面倒は、自分の母か、ダイアナへ。これはどう考えても“キモい変人のオッサンの思いつき”ではないぞ、と。
子育てや教育には体力、気力、財力、知力、いろいろ必要でしょう。妻と離婚しているのであれば、自分が居ない場合の想定として母親へ託すのは男として自然なことのように思います。その母に不測の事態があった場合に、ダイアナ。。。

しかも一連の報道で、マイケルの度重なる整形や白人化は、虐待した父への復讐だの、反骨だの、老醜により親と同じ顔になることがトラウマだったからだの、といった内容を目にして、もう充分に悲劇的です。そうしたら、さらに三人の子供は、やれ仮腹だの精子バンクだので、遺伝的血縁関係が全くない可能性もあるという報道もあり、、、一体どこまでビックリすりゃあいいんですか、マイケルさん。

もし報道が事実であれば、そこまで手の込んだ方法は、もはや血筋が解らない子供であることは彼の意図であったでしょう。奇妙な顔に作り変えていく一方で、そうまでして彼が子供を欲したことに深淵を感じるのです。
そして、その子供たちがせめて大人になるまでの道筋について遺言を残す、、、そこにある「愛」を考えると、彼の子育ては決して“金持ちの道楽”ではなかったんだなぁと感じてしまう。

ロンドン公演のリハーサルで、自分もまだ歌って踊れることをマイケル自身が喜んでいたといいます。ニュースでリハ映像の一部を見て、あんな顔のままなのに「あれ。ちょっとカッコ良いかも」と見えてしまった私に我ながら驚きました。
でも、その姿はもう見られないのかと思うと、今さらながら、改めて、本当に惜しい人を亡くしてしまったんだなぁと思う日々です。遠くニッポンから、袖摺り合うコトすらなかった彼へ、精一杯の深い哀悼の意を表します。

2009年03月31日

先日の連休に京都へ行く用事があり、帰りの切符を手配しないまま新幹線に飛び乗りました。
北海道出身の私は、長距離はどこへいくにもまずは飛行機。地上係員と一緒に空港を走ったり、離陸直前に飛び乗ることも、何とも感じないくらいに“自家用車気分”(笑)で利用しています。しかし、コト新幹線に至っては未だにちんぷんかんぷん。

連休最終日の18時過ぎ、京都駅で「えきねっと予約」の乗車券が受け取れないことが判りました。つまり乗れないということ。皆さん当然ご存知なんでしょうが、えきねっとは東日本のサービスで、西日本地域ではその予約による乗車券発券はできないんだそうです。結局、1時間半後の新幹線を取り直して帰京しました。

西日本のみどりの窓口は完全に他人事で、いま空いている最短の一席を購入し直すしか手段はないと言われました。取れている予約をいかす方法はないのかと掛け合ってみても、予約システムは全国オンラインなので、手放した瞬間にどこかで取られるから万が一にも無理、諦めた方が早いよ、とのことでした。
返す言葉もなく、もはや従うしかありません。お気の毒ですが、言いたいことは東日本に言ってくださいねと、メモ書きした「えきねっとサポート」の電話番号を渡されました。

しかし。東日本の対応は実に実に不愉快なものでした。

まず、えきねっとの電話は「購入」か「解約」のどちらかを選ばないと次へ進まず「その他」がない。

電話に出たオペレーターの女性は、当然、解約前提の話で進みました。予約時の画面に、西日本の地域では発券できないと表示されているのに、なぜ確認しなかったのかという話向きで、読んでいないアンタが悪いと言わんばかりでした。なおかつ、私のこの乗れない新幹線予約をキャンセルするのに、通常なら3,000円の手数料がかかるところを「特別に無料にするために上司の許可を取るから」と、保留にされ、待たされる。

この通話は、フリーダイヤルではなく、通常の有料電話です。
せいぜい15秒も待ったのち、本当に知らなかったんですね、と再度念を押され、言質をあからさまに取られて、晴れて“無料”放免。なんと一方的。

私は「予約した新幹線に、予定通りに乗りたい」だけなのに。

発券ができないのも、東と西とでサービスが違うのも、今の日本ではやむを得ないと、血を吐く思いで無理矢理理解してあげたとしましょうよ。
でも、自分の予約で1席は空いていることが明確な電車の予約を、なぜ手放さなくてはならないのか不思議じゃありませんか。車掌が端末を持って、いまだに切符と行き先を確認しながら一席ずつ回るぐらいですよ。乗れるように対応しようと思えばできるだろうと思うんですが。どうせこんな人、例外なんでしょうし。ね。

でも、えきねっとは“仮の予約”であり実際には発券=精算なので、それまでは「予約が取れた」とは言えないんだと、電話に出た女性は吐き捨てるように教えてくれました。いま冷静に考えると、発券もできないのに、どこに“手数料”のかかるキャンセルなのか。
だいたい、西日本地域発の予約が片道で選択できるネットのシステムもおかしい。
出発地は往復での購入以外は東日本エリアしか出さないようにするとか、アクセス地域を絞るとか、多少ザルでも、無いよりマシな網を張る方法はいくらでもある。

線路は全国繋がっているというのに、エリアでしか通用しないサービスを運用して、利用した客に注意義務を問うなんて、JRの責任者は頭がおかしいんじゃないか。

本当の意味での民営化は未だ出来ていないんだなと改めて実感する一件でありました。


ちなみに。東京駅での出発時、あまりの混雑で改札を通り損なってしまい、ご年配の駅員さんが乗客の中へ並びなおして出札してくれました。お礼を言うと「いってらっしゃいませ!」と実にさわやかに見送ってくれたのに。
現場は頑張ってるぞ。デスクワークの決裁者たちよ、あんな対応でいいのか。

◆ネット予約 システム動作も 仮対応 サービスすらも 片道切符

2009年01月05日

あけましておめでとうございます。

景気の先行きとともに不透明な世相といわれ、我が身を引き締める新春です。
数年ぶりに東京で新年を迎えましたが、ちょっと出歩いた新宿や六本木はかなり日常どおりの雑踏で松飾りなども少なく「新春らしさ」が陰を潜めていたように感じました。

年始に電話で話した監査役とも「単なる月末だった」という所感で一致しています。
本日社員を連れてお参りにも行ってきましたけれど「困った時の神頼み」ですら、今ひとつの盛りあがりだったように感じました。

嘆いても何も始まりませんけれども、私一人の力ではとうてい景気も株価も上げられませんし、雇用もまたしかりです。モノを作らなくなって、手先が衰え甘くなったうえに、消費に疲れたニッポンには、何よりも今後の展望がないというのが一番の閉塞感ではないでしょうか。

経済の展望は専門家にお任せするとして、製造にも消費にも動きが無い中では広告も広報も必要とされません。我々の商売は景気に最も左右される業界ですから。でもこんな時代だからこそ、企業はどのような広告や広報を必要としていくべきなのか、そこに改善・改良・改革の余地はないのか。そしてさらに、今の世相に届く表現とは何なのか。今年はこれらを重点的に掘り下げ、皆様に提案していきたいと思っています。

また、顧客の皆様と共に課題に取り組み、半歩先を見ながらご提案し、一歩手前の準備を粛々と進めていけるような「陽のあたる影武者」でありたいと思っております。
ぜひ2009年もアイデアパンチを宜しくお願いいたします。

◆新春の 深川詣でで 我が社員 揃う二拍手 逞しきかな

2008年11月21日

麻生総理の発言内容は聞いてないので、それで騒いでいる報道をみて思ったこと。

私は義兄が某大学病院で麻酔医准教授として働いているし、相方の近親者にも医師がいる。また、ここ10年ちょっとで祖母が亡くなり、母が倒れ、父が癌になり手術などを経て亡くなり、と、その都度さまざまな医師を見てきた。麻生総理の発言を聞くまでもなく、医師にも当たりとハズレがあり、差が激しいというのが私たち家族の正直な実感だ。
あの医師が何度も針を刺しなおすような失敗をしなければとか、あの医師が君は元気そうだと追い返さなければ、未だ生きていたかもしれない、なんて思いを経験しているので、我が家の中では「麻生さんもたまには良い事言うねぇ?」という受け止め方だった。

まぁ何でもそうかもしれないけど、結局は玉石混交ってことなんじゃないかなと思う。
○○だから賢いとか、人格者だとか立派だとか、そういうことではないということだ。
医師会は大きな票田だとか、大勢は自民党から民主党に付いたとか、そんな報道も見ていたから、ガヤっている人の大半は、その辺りの利益に関する別の意図であろうと思う。小さい話だ。

米国オバマ次期大統領の演説はカッコよかった。あれでこそ選挙に行く気にもなるだろうし、勝利演説の場でよもや暗殺などと、変化を好まない人達が強引に流れを断ち切るようなことにならないよう真剣に願った。日本にはビジョンを出せない政治家が多すぎる。

今の日本はここ何十年もかけて合理的で、効率よく、正確に、山ほど製造できる仕組みづくりに邁進して、几帳面な日本人は確実にこなし、余剰人員は「経費削減」として社外へ放出してきた。
さらにこの“情報化社会”とやらで、伝達のスピードが飛躍的に進み、間の仕組みは価値を失った。システム化は進み、何でもパターンで対応できるようになり、効率が上がった結果、さらに余剰となった人員は増え「経費削減」となる。

スーパーなどで買い物している時に、どこまでも続く棚にびっしりと商品が並んでいるさまが薄気味悪く感じることがある。お金が無い人や時間を持て余している人を世に簡単に排出し、モノを大量に製造して、売れないから安くする。いまだに価格競争に競り疲れることが仕事の厳しさだと思っている人も少なくない。普通に考えたってこれだけの危機感が沸くのに、誰も何の対応もせずに、これから先、本当にどうなるんだろう?

話は変わり、フリーターというだけで書類選考を通れず、仕事に就けない30代が減らないので、採用企業に補助金のようなものが出る仕組みになるような記事を目にした。
またくだらないことを。
フリーターを雇わない企業が多いとすれば、パートタイムという身分でズラッと並んだ職歴がどういった本人のキャリアになっているのか、中小企業には評価する術がないからだと思う。どういう勤務形態にせよ、採用に結びつくような能力や技能が測定できるような評価基準を新しく作って、採用の足がかりを増やしてあげる事の方がよっぽど必要では無いだろうか。人材が戦力に育つまでには手間と時間がかかるのだから、人材育成の中・長期プランを中小企業が導入できるような形で提供するとか。

ところが、だ。某求人媒体サイトの職種と職能のDB化が、国が把握している実情よりも確度が高いとかでお褒めをいただいたんだそうだ。その考え方を基準に使うとか使わないとか、そんな話もあるそうで。
税金とってくだらないお金をばらまいて、イザという時は民間が投資したノウハウに便乗か。気楽でいいよな。政治って何のためにあるんだろ。

フリーターと呼ばないだけで、実態は大差ない派遣社員という課題だってあるのに。
補助金に飛びついて採用する企業は、補助金のメリットを使い切ったらその人材は切るよ。だってお金目当てなんだものね。

2008年10月17日

先日機会に恵まれ、人生初めての大相撲に行ってきました。仕事でチョコチョコ行く機会がある両国ですが、両国といえば、東京都江戸東京博物館!じゃなくて国技館ですよね?。
偶然ダブったチケットがうまい具合に巡ってきて、ボス仲間と二人、升席でビールをなめなめ観戦してきました。実際に見るお相撲さんは、みんな力強く、想像していたようなフテブテしさもありませんでした。
ブルガリアヨーグルトも協賛
▲アイデアパンチとしては押さえるべき一番でしょう。

ただ、タイミングをずらした程度でコロリと勝つ試合の多いこと。つまらないと感じる一番もあったけれど、おかげで座布団が舞うところを目の当たりでき、ちょいとラッキーでありました。
でも力比べを見るのが相撲の醍醐味なのに、こんな勝ちっぷりはどうかといった非難の記事が翌日の読売新聞に出ておりました。私もそう思うな。
座布団高らかに舞う
▲お見事!座布団高らかに舞う!

最近の相撲界はいろいろな事件やニュースでかまびすしいですが、八百長疑惑の裁判についてのニュースを聞くと、なんとも力の抜ける思いがあります。八百長疑惑とされているのが30年前の一番ですよ。しかも当事者のひとり、双子山横綱はもう鬼籍に入っておられる。スポーツ観戦をしている気楽な身からは八百長は確かにつまらないとも言えるけど、万が一この一番が八百長だったとして、現在に至る相撲の全てが八百長だったと決め付けるには冗長すぎるという気が湧いてくる。

たった一回こっきりのことだったとすれば、それこそ30年前のたったの一番をほじくり返すことへの徒労さを感じるし、もし、30年前に既に八百長が常態化していたものだとすれば、その事実は残念だけれども、それもセットで相撲の歴史ではないかと思ったりもする。

もし本当に星の売買がなかったとすれば、いくら事実を否定しても、それこそカネで買われたような証言者が次々と出てくるんだろうから、否定するほうも際限がなく疲れるであろう。
貴乃花親方は升席を商品化したりしてファンサービスに頑張っているのに、気の毒だなぁ。

偶然付いていたテレビで、記者達に一言と詰め寄られる北の湖前理事長をみた。裁判という公の場で身の潔癖を主張できて良かった、というようなコメントなんだけれど「この機会に(八百長はないという話を)仰ることができてよかった」と話していた。
ほんの一瞬だったので聞き間違いかもしれないが、この年齢、この立場にして、この程度にしか言葉を使えない姿を見て、閉鎖された社会に一生を投じてきた人間であることが切実に感じ取れてしまった。

いろいろな事件の中でどうして相撲界の人は言葉少ななのかがずっと不思議だったけれど、彼らは話せなかったんだ。いや、彼らは話し方を知らないことを知ってるから、主張はあっても答えられないということだったのであろう。
この閉鎖感。社会との隔たりの強さ。星の売買があったとしても、放っておいてあげるに値するような気がするんだけど、どうだろうか。

もちろん、犯罪はダメだ。
どんなに喋りベタであっても、暴行致死事件とやらは社会に説明し罪を負う責任があると思う。でも30年前の星の話は、めくじら立てて追求するべきことではないと改めて思う。

やっぱりどう考えても30年前のこと、という前置きが気を萎えさせる。正義感も結構だが、もう少し社会に貢献できる記事で闘えないかね、週刊現代は。
平和ボケと不景気で、日本はそれどころではないと思うんだけど。

2008年09月30日

昔、人材紹介会社で採用企業に送るDMのクリエイティブをやったことがある。

荒馬に乗りこなすような筆画のイラストを使い「血統も戦績だけで次のレースは読めますか?」というコピーを書いた。モチロン血統は「履歴書」、戦績は「職歴書」である。馬が従業員なら、さしずめ経営者は馬主、ジョッキーは管理者というところであろうか。情報化社会になって、21世紀の組織は、「人ありき」であるからこそ、インフラ整備の一環としていい人材をそろえましょう、そのためにはマッチングのプロに頼んでみませんか、というような主旨のものだった。

採用する側に送るものだとはいえ、結構チャレンジな内容だったかもしれない。従業員が見たらムカつくかもしれないよな。作った当時の私も充分に「従業員」だったけれども。
でも内容のデキよりなにより、トンチキ頭でヒステリーな当時の社長が、社運をかけたDMに、私のクリエイティブ案をすんなり採用したということが大きな衝撃となってGOが出た。

経営者でなくとも、従業員としてでも、人とどうつきあうかがいろんな意味でキモになる。
常々思うし、機会があれば言ったりもするが、社内の人間関係にだって営業的センスが必要。貸し借りは武器になるし、武器にしなくてはならない。
自分より目上の人を動かしたい場合と、部下や後輩を動かしたい場合とではやり方が異なるが、ポイントは、どうやって相手をその気にさせるかだと思う。

周囲がたとえアホばっかりであっても、アドバンテージが全く無いわけではない。組織にも人間関係にも必ずスキがあるから、そこを上手について勝ち馬に乗ってほしいなと願っている。
そして反対に、賢い人間はスキを突くのがうまい。それもこっそり、本人にしか刺さらないように突くのがより上等だ。そういったことに慣れない若い頃は、師匠に「真に受けるお前がアホなんだ」とよく言われた。

だいぶ前になるが、ちょっと解釈に苦しんだ人がいた。
自分はいい人だと全身で伝えたいのであろうという結論に至り、深追いするのを止めた。
これみよがしに振舞うのは、やはりダサいのだ。薄っぺらくて、私は信用できない。
本音を語ることと、ミエミエのタテマエを堂々と述べることが一緒くたにされている世のきらいが気になるが、人付き合いというものは、もっと秘するところがたくさんあるべきなのだ。そして、とてもオフィシャルな側面も併せ持ち、そのバランスを取るところがセンスなのだと思う。

人付き合いは「誰かの仕事」ではない。日々社会に出る限り、全員にとって仕事なのだ。
うまくいった成果が、あれほど個人に還元されるものはない。
私の貴重な仲間達には、是非、したたかにいい人間関係を作って欲しいなと思う。

2008年09月17日

私が社会に出たのがちょうど1990年。まだ僅かな社会人経験だと日々悩むことだらけですが、しかし、社会に出た当時と現在を比べれば、実に隔世の感です。やっぱり20年弱ともなると時代が移り変わるほど長いのかな。

ですから、日々の活動を通しても、いろいろなところで違いを感じない日はありません。でもこれを思い流してしまうのも惜しい気がするので、ブログに書いてみようかなと思います。今回は大分前に思ったことですが、最近の求人情報について。

まだ男女雇用機会均等法が跋扈(?)していない昔は、求人情報に年齢と性別が明記されているのは当たり前でした。性別も世代(年齢)も、区別の一つですし、当然のように学歴の制限もありました。でもそれは採用側の希望としては当たり前のことで、雇用機会の逸失、のような考え方はありませんでしたね。


専門知識や学力に一定のラインを設けるのもおかしなことでは無いはずです。それに満たない能力を持った人が背伸びをして入社できたところで、後についていけなくなってしまえば本人が不幸です。また中身を見抜けなかった面接官も役立たずのレッテルを貼られたものです。
私も若かりし頃、場違いなコンサル会社に応募したことがあります。返事も来ませんでしたが・・・、まぁ怒る気にもなりませんでした。

また場違いといえば、場違いなくらい優秀な人材が社内にいたら「あいつを面接したのオレだよ」って何年も自慢するオジサンが周りに居ませんでしたか?これはその逆転版ですね。

企業側も身の程知らずに高飛車な求人条件を出しても、賢い人は見抜きますから、誰も入社してくれない・・・なんてことも普通にありました。管理職の人が「社長、応募が来ないから大卒限定を外しましょうよ。だってウチみんな高卒じゃないですかー、社長も。」なぁんてことも普通にありました。


男・女も区別の一つ。男性にも女性にも、会社の構成員としての付帯業務があって当たり前でした。男性には運転があったり荷物運びがあったり、女性にはお茶くみがあったり、電話応対があったり。一定のルールを決めて当番制の会社だってありましたし、それらも含めて社風だったりしますよね。
事務の女性が結婚で辞めるとなれば替わりの女性を雇いたいと思うのも普通でしょう。

年代もそう。おじいちゃんばかりだと活気が無いし、若年層ばかりでは引き締めが弱いから、バランスをとろうとする組織はむしろ自然ですよね。宴会を仕切ってくれるような若者もいれば、筆耕を頼めるおじさんが当たり前に居たわけです。

経営の立場になったから思うわけではありませんが「条件なし=自由」でしょうか。
今は、男・女はもちろん、年齢も希望してはいけません。経験については忘れたけど。
しかし社長より年上の未経験者を雇う会社は殆どないんだから、応募させるだけ気の毒だと思うのがむしろ人情だと思うんですけどね。
これが果たして本当に平等な社会なのかなってつくづく思います。

ついでに。面接で聞いてはいけないこともいろいろあるんです。家族構成もNGです。
お陰で、聞かれる側にも想像力が無くなりましたね。面接の場で、カノジョの好きな映画を聞かされたこともありますよ。普通の大人はバカバカしいと思うでしょ。


社会に出て仕事をするということは、面接の場で聞かれた嫌な思いよりもっともっと過酷です。嫌なことを聞かれたことは自分も過去にありますが「入社する前に感じの悪い面接官だとわかって良かったわ」と思うぐらいの強さが欲しいですね。もちろん採用側にデリカシーは必要ですよ。ウチはそう思っています。面接官にモラルは必要。必要以外に漏らさない配慮が肝心なことも道理で判ります。

今は個人情報保護の問題もあって、住所録というものがなくなり、隣で働いている社員がどこらへんに住んでるのか、本人に直接尋ねないと解らないんですって。出先で解散しても、どこに帰るか知らない。そんなバカな話があるかと思うのですが、子供の学校の連絡網もそうらしいですね。

そんな世の中にすっかりなっちまったようで、なんともです。

最近は昭和ブームらしくノスタルジーとかなんとか言いながら懐かしいものが流行っているそうですが、確かにあの時代は時間の流れもゆったりしてたし、自由なところもありましたが。その分、今よりもモラルを守ろうという気持ちや、秩序が個々にしっかりありました。電車ではしゃいでたら怒鳴られたし、人にぶつかれば謝るのが当たり前だったからこその自由だったんですけどね。

2008年09月02日

今日はアイデアパンチの設立記念日。
また私が仕事をしていくなかで、大きな影響を受けた人の誕生日でもあります。

アイデアパンチは5週目に入り、少しずつ重ねてきた実績が新たな方向を生みつつあります。
そんな中でも、目指すのはやはり「プロの表現による精緻なコミュニケーションの実現」です。

企業の生産活動に精彩を欠いたら、日本はもっと落ち込んでしまう。もちろん私たちのような製作業も先がない。勤勉に働いてナンボ、が日本人のいいところだと考えています。
でも、いまやPRが必要なのは対外的な企業活動だけでありません。会社のトップが社内に、親会社や持株会社がグループ企業へ、部署の頭が部下に、先輩が後輩に。組織の気持ちをひとつにまとめ続けていくために、コミュニケーションが必要なのです。

先日「アイデアパンチは、クライアント企業以上に、クライアントへの愛社精神がある」と評されました。
ナルホド、確かに。
言われてみれば、私はクライアント各社を愛しています。こういっちゃ失礼かもしれませんが、みな、一生懸命でかわいいのです。実は正直、予算面で遠慮したいお客様もいます、そんなこと自分で調べろよ、といいたいお客様もいます。でもでも、つい「我々のできることだったら力になります」って言ってしまう。そして彼らの秀でた魅力を、ポイントを絞ってどうにかうまく前面に出せないものか。本当に思案のしどころだと思うことがたくさんあるんですよね。

外国から輸入した加工モノで溢れ、さまざまな原資が足りず、ノウハウは海外へ流れていく日本。
なんとなく漂う空気に流されてしまう前に、もっと地に足をつけ体を使い、出どころのハッキリした、鮮度の良いものを食べ、体を健康に維持し、力強く未来を切り拓いていきたい。
アイデアパンチも、その大きな流れの一翼となれるよう今年も頑張ります。

ということを、つらつらと考えていたら一国の宰相が辞めるんだそうで脱力です。
あのおじいちゃんに期待はしてなかったし、あまり好きなタイプの人間ではなかったけれども、しかし「辞めます」といったら辞められる国なんだなぁ。恥ずかしい。政治家多すぎるよ、もっと減らしましょうよ。

国のトップが転職するかのように仕事を投げ出すんだから、若い人たちが育つはずが無いよ。
じいさん連中はもっと自覚して欲しいよね、背中を見ている若い人たちがいるということを。

2008年06月23日

最近このテのフレーズの多いことに胸が痛みます。少なくとも数年前には未だ「誰でもいい」ということは、口にしにくい表現のひとつで、周りの目をはばかる表現だったと思うのに・・・。

どうしてこうなるのか、勝手に考えてみた。
ちょっと推敲しないで書いてみます。
思うに。
この人の周りには「誰でもいい」ことしかなかったのではないだろうか。
仕事も、人付き合いも、友人も恋人も、もしかしたら家族も。
「あんたじゃなくてもいいんだけど」ってことにどっぷり、めいいっぱい浸っていて、それが当たり前の毎日で、何日も何年も繰り返していると、世の中には「誰でもいい」以外の選択肢があるということを無意識のうちに忘れて行ってしまったのではないか。

「誰でもいい」の対極が「君ならでは」だとすれば、そういう評価を得るのは決して楽なことではない。わずかでも秀でたと思われるところを探し、無理をしてでもポジティブ思考し、育てる努力をする。これは本当に何年もかかる、辛くて長い道のり。
極論だろうか。

努力を放棄するのは実に簡単。あっという間に「誰でもいい」世界へ転がり落ちてしまう。若い人には人生を前向きに考えて欲しいし、そういう社会であるべきだ。
そして、手っ取り早くラクな道を選んではいけない、そこに落ちてはいけない、踏ん張らねばならないと教えなくては。

派遣社員は、そもそもが「その日、そこに来てくれれば誰でもいい」という考えが根底にあるもので、企業はそのつもりで人員充足を依頼する。働く方も「勝手に休んでも、代わりが行けばそれでいい」ことに慣れてしまう。誰も気にしない、居なくても気に留めない、そういったことが積み重なったとすれば、感覚は麻痺していくと思う。

会社を経営すると、いろんな若者と出会う機会に恵まれ、いろいろな家庭環境を垣間見ることが多くなった。自分がどこに立って、誰に愛されて今に至ってきたか。そもそもの自信がつくように大人は子供を愛し、それを教えるべきじゃないか。

人間の根っこはそこにあるような気がしてならない。

アイデアパンチは周囲とどんどん「君ならでは」の関係を作れる環境として存在できたらいいと思う。

2008年05月01日

茶道の言葉で一期一会ののちの心得なんだそうですが、意味は「お客様が帰られたあとでもなおかつお客様の満足について考えていること」だそうで、ひいては「常に向上心を持ち前向きな人生を送るべきための心得」なんだそうです。

いいなぁ、いいなぁ。素敵だなぁ?。私はこうやって仕事をこなしていきたい!
ソレとわかる配慮は野暮ったいけれど、考えつくしたものに含まれる細やかな煌きは放っていたい。そういう大人の女性になりたいなぁと思っています。

私は「八百万(やおよろず)の神」という考えがとても気に入っています。ここで解説するほど神道を理解していないので掘り下げませんが、あくまでも素人考えとして、自然や自然現象などの全てのものに神が宿っているということは直感的に信用しています。

生物は、摂取と消費の繰り返しを常に行っていて、そこに費やすのが「時間」かなと捉えています。そして、生物達の集合が他に与える影響が重なりあって「環境」となり、複合要素により「バランス」が生まれ、常に偏りをなくし均等(調和)に向かうために変化が起きる・・・それが「社会」なのかなと(漠然としてますが)感じていて、そこには八百万の神の“未知なる意図”があってもいいよなと思うのです。

まだ20歳になる前に、当時通っていた学校の制度にのってカナダの美術学校へ留学させてもらったことがあります。そこでシルクスクリーンやタイポグラフィ、2Dデザインなどの授業を選択しましたが、講義や資料、道具が全て英語だし(生活全てが英語だから当たり前)、元々センスは2.5流。不器用だし、しかも飽きっぽい性格が混ざり合って、作品は帰国とともに捨て去るぐらいひどいものでした。

しかしこんな私でもひとたび作品を提出すると、実に繊細だ!と褒められました。(他に褒めようがなかったのもありますが。。。)
ホームスティ先でも、静かだしモノを壊さないし、キレイに暮らしてくれるから日本人は大好き!という人が多かったのも納得できます。

日本人の繊細さは外国でも有名。その感性のどこかに、空気をつかむような共通した配慮があるのではないかと思います。
昨今の「KY」も(“空気を読める”のもKYなのにヘンよね)わざわざ隠語にすることないじゃん、だって空気を読めない人のコトなのに、と思うのですが、そこに日本人の繊細さを感じ取ってしまいます。

まだまだ、ニッポンも捨てたもんじゃないのかな・・・と思いますね!

2007年12月22日

まれに、ハッとするような正しい日本語に触れることがありますが、私は本当に自信がない。特に最近は「○○する?」という文末アゲ語り口や、名詞で終わる質問文などを聞いていると、自戒もこめてイヤ?な気分になることも増えてきました。

ファミレスなどのマニュアル語で「○○でよろしかったですか?」という過去形は北海道が発祥らしいですが、話題になるまでまるっきり違和感がなかったし、「とんでもございません!」とはりきってクライアントに答えてしまったり。全くバカな社長ですわ。

私は大事なプレゼンがある場合などは、提案内容の準備や、美容に関する準備と同じように、1週間くらい前から小説や評論の本を読み出すことがあります。普段の生活では出番のない比喩や形容詞などを正しく思い出すためです。付け焼刃もここまでか、というていたらくですが。

プレゼンでは、短時間で先方に企画の意図を説明しなければならないし、質疑応答の場面では、ためらうことなく、あらゆる質問に答えるという「小気味良いやり取り」がとっても大切です。
しかし、企画は良くても日本語の適切な表現を忘れ、とっさに言葉に詰まったりすると、そのまま自信が無いように映り、こういうのは大抵良い印象に残らないものです。

私たちの仕事はコミュニケーションを取るツールを作ることなので、間違った日本語を堂々と使っているようでは商売あがったりです。昔から、誤字のコピーほどみっともないものはないと教えられてきたし、大分昔に姉が「手記」をうっかり「てき」と言い放ち、近くにいた父に10年近くもバカにされて気の毒でした。よくある「ず」と「づ」などの送りがな間違いや、かなカナ間違いなどは、ビジネス文書でてきめんにバレますね。
素敵な大人は他人の間違いをみると、相手が恥をかいていると解釈してくれるので、指摘してもらえません。それに気づかず、自分が正しいと思って乱発していると、腹の中でバカにされて終わりです。

何度も何度も何度も断っている売り込みの電話のうち、偶然私が出たものがありました。
求人広告の媒体元ですが「出稿」の意味が解らず、「出向」に聞こえたようでした。世相を反映してるというか、求人(広告)専門だからしゃあないとでもいうか・・・。社内の雰囲気とがが悪かったのでしょうか、いつごろお見えになったんですか、と大真面目に聞かれました。
最後まで「出稿」だとは解らなかったようですが、的外れでも聞いてくるだけマシなのかしら。なんだかなぁ?・・・。

おっと!こんな日本語もなかったか。あ?あ。

2007年07月30日

色々書いた力作の原稿を保存しないまま、慌ててマシンの電源を落としたことに気づいた。人間、二度と手に入らないと思ったものは俄然輝きを増して見えるものである。

しかも再度書き直したものを公開したはずが失敗している。一度ケチがついたものは、その後如何に頑張っても上手く行かないものだ、という私の考えが正しく立証された悔しい出来事であった。
この原稿は意地でも公開しよう。運命には気合で逆らうべきである。

<ここからは、投票日2日前に書いた原稿です>
たまたま時間がちょっとあったので選挙公報を読んだのだが、みな主張が悪趣味で世も末だ、という内容だった。これが良識の府、参議院を担う人材なのかと思うと気が滅入る
議員を減らそうという主張もあったが、無所属新人たった一人の主張では、仮に当選しても結果的に要らない議席のひとつとして埋没してしまうだろう。ネットで選挙をやりやすくしますというのもあったが、それはいわゆる各論である。政治家がリーダーシップを取らずにどうするんだ、政治家って何をやるために要るのか?

税金や他人から集めたお金を運用する立場の人たちは、どういう名称の団体であれ公僕であった。つい最近までは「李下に冠を正さず」という自律的な美しさがあったはずだ。安倍さんの目指す「美しい国」はこういう意図であって欲しい。

これからは若者も人口も減るに伴い、地域も企業も小さく効率よく運営していく時代である。一部の議員だけが湯水のように金を使い、利権を転がし、手持ち無沙汰な議員を山のように養う義理がどこにあるのか。
最近は「自分の権利さえ守られれば、たとえそれが他人の邪魔になっても構わない」ような世の中に見えるのだ。裏山に手持ちの金を埋めるケチのほうが未だ可愛い。バブルに踊った初老世代が金に執着しすぎなのではないか。

民主党は元が寄せ集めだし、そもそも政党別の主義主張が統一されていないのが政治を複雑にしている原因である。だからみんな手っ取り早く党首の好き嫌いや足の引っ張り合いをやるのである。そんなものに釣られて小泉郵政選挙のように、民主にバカ勝ちさせていいのか。
年金の処理は争点にせず自民党にやらせるべきだ。議員全員の給与を削ってでもやれ。

やはり主義主張に沿ってすべての議員は再結集し、総選挙にして欲しい。
これからは当選枠にとらわれずに、地元有権者数のうちの一定の割合数を得票できなかった議員は当選しても無効枠とし、業務は近隣地域で当選した者が兼務するのはどうだろう。それで住民から不都合が出るようなら次回の選挙はみんなで投票に行けばいい。それで議員は減るし、現場で働く公務員は臨機応変な仕事ぶりを学ぶだろうし、政治はわかりやすくなるし、いいことだらけじゃないか。

ともあれ、みんな選挙に行きましょうね。

2007年07月24日

特に電話には目に余る行為の方が多いですね。
どう解釈しても私の商慣習には馴染まないケースが実に多いのでここにご紹介します。
そういえば、携帯電話からかけてくる方も非常に多いですね、会社の子機という感じでもなさそうですし。

顧客開拓に“テレアポ”は、今に始まったことではありませんから理解できます。こちらも暖簾を下げている以上は無下な対応をするわけにも参りません。しかし、期待に副えないものはその旨を正直に伝えるのが世の最善だと思っていますが、今の世の中、そうでもなさそうで。。。

「そこを何とか」と食い下がられる/こちらの声を聞かずひたすら喋り続ける/急に威丈高になる(鼻で笑った人もいました)/一言すら言い終わらないうちにガチャーンと切る/要点もなくひたすら長々話す・・・・・。

まだまだ居ますよ、ツワモノが。

電話に出たこちらの名前を聞いてくる(お断りしたのに)/うちの社名や社長の名前を聞いてくる(公表してます)/週のうちに、何度もかけてくる/アンケートだとかで質問攻めに・・・・・。

彼らは報酬の対象として電話しているのでしょうが、こちらは業務の手を止め、それまでの思考を停止し話を聞きますから「非生産的であること二乗」です。

しかし、実は私がもっと腹に据えかねる行為があります。
あたかも仕事があるような口ぶりで、今日の明日で呼びつけたり、訪問して来る人です。
そういうのに限って語り口は巧妙で、うちのスタッフ達はいい様に釣られます。
以前、ご来社早々に自社の営業パンフレットを広げてきた「電話回線系クリエイティブエージェンシー」(笑)がいました。別の会社に呼ばれて訪問した時は、どなたかが作られた古臭いデザインを長々見せられ「利益が出るコンテンツを、こういう感じで企画・編集して、パターン案を出してください」というのもいました。
「利益が出ないとビジネスとは呼べないですからね?」ってアンタに言われなくとも!

利益は自社の強みと自分の脳味噌をひねり出した「合わせ技」で生まれるもの。
ましてや、他人様を呼びつけて「提案」させるなどありえない。忙しい人こそ、他人の時間をやりくりさせることにためらうものです。
利権や思想に便乗し、マージンを乗せ、右から左へ流す商売はクリエイティブに向きません!

頭にくる行為をされると、怒りが収まるまで仕事が手につきません。
そういう人には、逸失利益分の請求書を送ろうかと考えています。

時は金なり。テレアポご遠慮くださいね。