SPとPR

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2008年04月16日

毎日山のような売り込みメールが届きます。単なる配信メールであて先を差し込んだようなものは全く心に響かないため大抵が放置されて終わりです。しかし、つまらないビジネスメールの中にオヤッ?と思うようなものもあります。

私が好きな「いい人そうだなぁ」と思えるメールは、未だ見ぬ相手への緊張感があり、ささやかな敬意が表されてるもの。要点がわかりやすく、簡潔にまとめてあるもの。たとえ大量送信文であっても、文末に個別の一文が添えてあるもの。特に弊社のお問い合わせフォームにはサイトの感想を尋ねていますが(もちろん必須からは外してあります)、たとえお世辞でも一言がある人には、お礼の一言だけでも返信したくなります。

弊社の外部スタッフにも、お問い合わせメールがキッカケになっている人が結構多いです。肝心の売り込み内容に用が無い場合は、どんなに「いい人そう」でも、残念ながら放置となりますが、そういうケースは、実は結構後ろめたい気持ちにかられていたりするものです(私は)。

思うに、文章には人間性が宿ります。ひらたく言えば“行間の印象”でしょうか。
これはもちろん「何行アケ」ということではなくて、言葉にならない部分のこと。文脈はもちろん、言葉の選び方、息継ぎのリズムにそった句読点、濁音の使い方。読み手の気持ちや状況を想像する力。それらの全体が書いている人の人間性を想像させてくれるんですね。
ちょっとしたお詫びの一言でも「すいません」と「すみません」とでは文字に込められた重さが違う。それは読む側に届く想いも異なってくると私は思います。

たかが文章といえばそれまで。実際の人間性を問わなくてもテクニックで得られる印象は大きいでしょう。しかしとても上手で印象的な文章でも、キメの熟語が変換ミスっていたり、素敵なフレーズが使いまわしだったりすると、読んでいるこっちが赤面です。これなら読まないほうがマシだったと思うことすらあります。

メールは、受け取る側には個別の私信として届くもの。コミュニケーションを仕事としている私たちにとって、計算ずくでもいい、万全の配慮をしたいものですね。

メールについては、他にも色々感じることがあるので、折を見てテーマにしていきます。

2008年02月18日

企画を立てるときに、一番思うのは「落としどころはどこか」です。
これは多少場数を踏んだ人でないとピンとこないかもしれませんが、言い換えれば「何を適えたいという目的でプロに発注してきたものか」を相手の立場になって考えを巡らすことです。
これはモノづくりを請け負う作業にとっては結構なキモだと思います。

しかしそれは、ある程度理屈でわかることであり、具体的な表現の作業に入る段階でディレクターの個性やモノの見方が多少は反映されるものの、各パートの専門家たちの意見も混ぜながら成形していくものだと思っていました。
つまり、ディレクターなんて最初の旗振りだけで、仕事の良し悪しは各パートの専門家たちの能力で決まると長年思っていたのです。しかしどうやらそうではないかもしれないと、今更ながらそんな気になってきました。

仕事の評価は、たぶん、間違いなく、依頼主の満足度にあります。
中にはどういうものが満足のいくものかすら判らない発注主もいますが、それは製作者の立場からアドバイス(提案)してあげるのも業務の一つで、その提案を元に、お互い答えの方向を探りあいながら仕事は進んでいきます。

そこで整理された目的に沿って具体的な製作作業は進みますが、成果物にはデザイナーやコピーライターやカメラマンのそれぞれの全力投球があり、それが集まってやっと「目に見える」形になる訳で、目的を探る作業が良かったかどうかは、往々にして成果物のクオリティと一体となって語られることが多いのです。
お陰様で良い評価をいただくことが多い弊社の昨今ですが、それはとりもなおさず、成果物のクオリティが高かったからだと頭から思い込んで、スタッフに感謝しながらここまでやってきたように思います。

しかし最近、全く不意に私の采配についての感想をスタッフから語られることが続きました。
べつだん、そんなことを言ってほしい訳でもなく(嬉しいけど。社長になって褒められることがめっきり減った)面識のないそれぞれのスタッフ同士が陰でおだてあう相談をするはずもなく、しかし同時多発的に、私の采配ならではの生まれるエネルギーがあり、その成果は当人にも予測ができず、また完成したものは自らの予想を超えてすばらしいという・・・、いったい誰を褒めてるんだかわからんような有難い内容でありました。

まぁ細かいことは手前味噌なので適当に読み飛ばしてくれて結構ですが、つまり目的を探ることに私ならではの個性がもし本当に反映されてるとすれば、それは「この人(企業)が喜んでくれるものを創りたい」という、私の半ば押し付けがましい、おせっかいな性格が大きく影響しているのかもしれないと思うのです。
だとすれば、私が経験的に確証を持って言えるのは、いい仕事をするためには「この人に喜んでもらいたい」とまずは思うことであり、その感情は究極に突き詰めると「この人に好かれたい」ということと同じであると思うのです。

仕事も恋も人付き合いも、人生の大きなうねりの中で繋がっているひとつの要素だと思うのですが、私の仕事一辺倒の生活にも、この人(企業)に好かれるために私はどういう努力が必要だろうかということを考えない時はなかったなぁと感じます。そして全く無意識のうちにそういう努力らしきことを行ってきたことは、とてもラッキーな経験であり、この仕事がもしかしたら本当に向いていたのかもしれないなぁと今更ながら思います。

ぜひ、この製作業に身を置きたい人たちには、人や企業に好かれるための努力の面白さを体験してもらいたいし、そこに喜びを見出せるようになってもらいたいと思う今日このごろです。

深夜にこんなことを書いていたらウチの相棒が起きてきて「売れない作家みたいな顔して何やってるの?」と言われてしまった。。。むむむ。あたってる。。

2007年10月26日

某お得意様の依頼を請け、取材に行ってきました。
働き盛りの数名にお集まりいただき、自社について語っていただくものでしたが、醸し出す場の雰囲気が実に穏やかで良い感じでした。

そこの会社は、お仕事を通していろいろなご担当者様と接する機会がありましたが、その度にみんな似ているなぁと感じていました。弊社とのやり取りはコンテンツというモノづくりの一環なので、結論がはっきり解っていることは決して多くありません。
こちらの業界に発注し慣れた方が少ない会社さんは特に、我々の質問の主旨を理解する、あるいはどうしたいという依頼を我々に伝える、ということが難しい場合が多いようで、回りくどさを感じる場合も少なくありません。彼らもみな、慣れていないタイプであることは一言話せば直ぐ解るのですが、しかし、その「手探りのコミュニケーション」がスマートなのです。
地アタマが良いといえばそれまでなのですが、みな押しなべて要点が早いというのはすごいものです。

こういった雰囲気が、数集まると集団の持つ空気に変わり、そこで日々働いているとそれぞれが似てくる、そういった相乗効果もあるのかもしれません。
つくづく思うのは、ボスが音頭を取る「社風」がある一方で、構成員全体の“匂い”が創出する「社風」があるのだなぁということです。
これには創業何十年という歴史も作用するのでしょうが、3年ちょっとのアイデアパンチはまだまだ形づくりの途中で舵取りが重要な毎日ですから、少しうらやましいなぁと思う時もあります。

とんがって突出した要素がない分、外から見れば平凡に映るかもしれません。それはクリエイティブを依頼される我々の立場からすると難しい相手かもしれませんが、こういう会社の、平凡で当たり前の、ちょっと懐かしい気もする上質さというか手堅さは、この空気をそのまま運ぶことが一番のPRなんだろうと感じています。難しいだろうなぁ~。

2007年08月21日

ちょっと前からよく見る生命保険のCMで、このコピーから15秒の物語が始まっていくものがある。契約ターゲット層の女性に保険に対する疑問を語らせ、コールセンターの女性が清潔感いっぱいに親切に答えていく流れであるが、あれはひどいなぁ。
広告主はきっと「疑問に答える方法で展開すれば、解りやすい内容になる」と、善意で考えて、その中で30代女性バージョンを作っただけなんだろう。うん。でも、どうもうっすら侮辱されているように感じてしまい不快なのである。

質問者はクールビューティ風な女性が起用されており、ソファに座り、コードレスの電話で話が進む。場面は日中の室内を想定しているようで、日曜の昼下がりというよりは平日午前中っぽい空気の中、非の打ちどころの無い保険会社の女性の対応に、疑心暗鬼の30女が騙されまいと必死に一問一答していくという構成に仕上がっており、暗いのだ。

質問者の口上も異彩を放っている。「4000円以内は無理よねぇ」などと相手を訝しげに思っている様子が全開に表現されている。昨日久々にこのCMが流れ拝見した。思っていたほど毒々しいモノ言いではなかったが、なぜああも「上目線」で「タメ口」に話す「いやぁな感じ」が観ている私の心に残るのか。あの「セリフ選び」が毒々しく感じるのだろうか。

小道具も怪しい。手前のガラステーブルには、ものすごく湯気の立ち上ったティーカップが置かれ、まるでサウナの蒸気口のようだ。CGかどうかは別として、あれじゃ熱くて当分はカップに触れることすら無理だろう。

ところが、CMは急転直下で和解に向かう。最後の質疑で納得が行ったらしく、件の女性が別人のように明るく澄ました声で「すぐ見積(を)送ってください」とにっこり笑い、CMは終わるのだ。あれだけアケスケに人を疑って質問できる女が「見積」を「送ってください」とは言わないだろう。私があの流れで脚本を書くならば「アンタ、すぐ契約書を持ってきなさい」とする方がよっぽど自然である。

商慣習上、やむを得ず存在するような「見積書」を、まどろっこしく送るのが保険会社にとって大切な結論なのだろうか。それとも見積書を切るということは契約成立に等しいのか?仮にその見積書が契約プロセス上省けない大切なことだったとしても、それは送ってもらわなければならないのか。メールやFAXではダメなのか。
サウナの蒸気口紅茶まで置いて作りこんだ世界観である。なぜ一番肝心な「その気になった人の動かし方」の部分が妙に曖昧なのか。製作物としての詰めの甘さを感じる。

そうだ、言いたかったのはそんなことじゃなかった!
そりゃあ30も過ぎて保険に入ろうと月々の値段を問い合わせるような女は、色々苦労もしてきてるだろうし、中にはややこしい人間もいるのかもしれない。しかし、ああまで感情を剥き出しにしたくない恥じらいや、隠す理性ぐらい持ちあわせている人が殆どなんだぞ!って事を知ってくれよな!

2007年07月12日

私はかつて駆け出しのころ、地方のドコモさんに大変お世話になった。仕事の酸いも甘いも教えていただいた、貴重なスポンサーさんのひとつであり今でも当時の経験には感謝している。
しかし、最近始まったキャンペーンは何だかおかしい。デザインのAUと呼ばれ、バラマキ・叩き売りが得意なyahooの参入で、ドコモは確かに影が薄くなる一方だった。ユーザーとしても、個人的な思い入れからしても、寂しい限りだった。だから動きがあれば気になる程度には意識していたのである。

「さて。そろそろ反撃してもいいですか?」のCMコピーはひどいな。それは客に問うことなのかな。「業界一番手だった僕たちなのに、最近パッとしなかったよね」ということを了承しないと、あのフレーズの持つ意味が飲み込めず、押し付けがましいのだ。しかもあのフレーズを読むと直感的に気分が悪くなる。どうしてなのか、イヤミを言われた後のような気分にさせられる。

しかもなぜ2.0なのか。2.0ってFOMAのバージョンか?700と900の位置付けがショップの店員ですら満足に説明できないのに、混乱を招くような数字を、意味もありげに最前面に押し出すのか。これがフックなんですよとでもプレゼンされたのか。今や2.0と言えば「web2.0」である。これからのトレンドと言われてしばらくが経ち、CMプランを練っていたころには、市井のクリエイターにもその意味がおよそ解ってきた時期だったろう。

きっと、インターネットが当たり前のツールになった今、これから先の「次世代の常識」と、業界一番手を奪取した後の自らの存在が「次世代の常識」になることをなぞらえて、自分たちの意気込みを伝えたかったんだろうなと思う。しかし、web2.0なんて一般人にどれだけの認知があるのか。しかも詳しい人から見れば、もはやフレッシュなキーワードではないと思うのですが。どうも周回遅れなニオイが漂ってくるところもサムいなぁと感じます。

蓋を開けてみれば、ちょっとトガった芸能人の大量採用でショートストーリーが流れるだけ。これが反撃かと思うと安易さに腹が立つ。ストーリーを作るからにはオチぐらいあるだろうけど、スポンサーがドコモじゃなくても十分に楽しめるものである。媒体料だってバカにならないだろうに。あんなCMプランを嬉々として採用しているから、ブランドが安っぽくうつり、結果的に一番手から転げ落ちるのである。

NTT本体から分離した以外はほぼ純粋培養であったドコモという企業が持つ、良いイメージがかつては確かにあった。ひいき目の私の頭にはわずかに残っていたハズなのに、あのCMのインパクトに流されて、ついにその欠片も上書きされ忘れてしまった。それが残念で悲しい。