住まう・暮らす

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2008年10月29日

仕事の話ですが。
新コンテンツに向けての準備真っ最中のなか、先週後半の3日間を道東へ取材に行ってきました。

この場所は根室半島の付け根、春国岱と風連湖です。
ここは湿地帯なので、越冬に野鳥が飛来します。今回もタンチョウや白鳥が羽を休めているところを何度もみました。絶滅危惧のシマフクロウも生息しているそうです。もちろん熊も出ます(笑)
春国岱.jpg


根室は北海道の中でも東の端で、どっちに向かっても海に当たりました。日本で一番早く朝日が昇るので、その分、日没もとっても早いです。
酪農と漁業が中心で、見飽きるほどに大きな大きな自然を有する町でした。

ここには北海道中の酪農牛の2割がいるそうで、移動しているとあちこちに牧場がありました。
草を食む牛の群れの中に、エゾシカやタンチョウのつがいが一緒に混ざっていたりして、都会にどっぷりつかった生活をしている身には本当に驚きの連続でした。

コンテンツが公開になったらまたお知らせします。今回はちょっと予告編、ということで。

2008年08月28日

8月の4日間で無期限停止となるサザンのニュース。
ご多分にもれず、残念だなぁ、青春だったのになぁと思いながら聞き流しておりました。
私は「結婚するなら桑田佳祐か内田裕也」と真剣に思っていたのは、今から25年前、当時中学生。

30年もヒットし続けてきたことって、ものすごいことだから、休みがあってもいいよなと思った途端、キモチはもう京都のCMですね。「そうか。行こう。」と思い立って、行ってきたのでした。
数年前、「The Pogues」を聞くためだけに富士ロックへ独りで日帰りしてきたときもそう。このテの「そうか。行こう。」は、一度こみ上げてきたらもう止まらないのだ。

ところがチケットが高い高い・・・・・・。今、世の中でああいうものを買う場合って、みなさんどうやってるんですかね?(プレイガイドの窓口に徹夜で並ぶ、なんてのはもうないんですねぇ~。。。)
ネットでざっと見ても、印象は最低30,000円より。アリーナの前の方(としか判らない)は150,000円なんてのもある。定価がいくらか知らんけども、何万人と入るスタジアムで、一体誰がこの差益を得てるのか・・・まったく。その分も納税しろよなー。。。ブツブツ。。。くじけずにサーチ続行。

結局、似たような席でも少し安い8月17日(日)に絞り、30,000円でも行きたいという道連れを探す。案外すぐに見つかったので、横浜スタジアムのサイトで席の配置図や名称をチェックしながらチケットを吟味。でも、どこがいいかなんてもう予想でしかない。「一階の最後尾より二階の先頭」をテーマにえいやっ!と買ったスタンド席。チケットを送ってくださった方の一言に気をよくして、意気揚々向かったのでした。

▼これは始まる直前の会場
サザンの30周年ライブ

ちょうどステージ中央がスピーカーで隠れていたけれど、私たちが座ったスタンド席はシャンプーハット状態の屋根があって、サザンのみなさんとアリーナ席が雨でずぶ濡れの中、涼しく楽しんでこれました。

すごーく古い曲もかなり聞けました。古すぎて、歌詞は口から付いて出てくるけれども、メロディが浮かばない(笑)という不思議な現象もありました。
歌は世につれ、世は歌につれ。約25年の私の人生がドドドと走馬灯のように・・・蘇り(笑)ちょっと泣けました。

オープニングで小林克也が「30年とは、デビュー当時に聴いてくれていた人の、子供が、その子供と聴いていくれているかも、そのくらいの長さ」とコメントしていました。周りを見れば、どうみても60歳を過ぎた方も多い。私と同じような世代で、親御さんと二~三人で来ていた方もお見受けしました。

いいな・・・。アイデアパンチも30年、やれるかな。


2008年07月23日

週末の連休を利用し、初めてイケアへ行ってきました!何を買うにも用意周到、納得するまで何度も足を運ぶいつもの私も、必要に迫られた今回は「即買い&持ち帰り」を胸に誓いライトバンを調達して出発したのでした。

目的は書棚。
引越して以来放置していたダンボール部屋を、ついに片付けるチャンス到来!と気持ちはかなり前向き。しかし店内を練り歩くも、どうもオビに短したすきに長し。買う予定だった商品は4センチ入らず、実物を見ると意外にちゃっちい。
そこで、背板のない四角を組み合わせた「飾り棚兼」の書棚を買ったのでした。4万円弱でお手ごろ。
本棚.jpg

でも、廃盤決定の商品らしくて拡張性がないところが気になるんですが。
数年後に動かしたら、ホコリで壁が格子柄になりそうだなという不安もよぎる。
しかしこんなためらいは、後から思えば可愛らしいもの。ほんとうにトホホなのはこれからです。

タテヨコ5マスずつあるデザインで、棚は全部で25個。高さにばかり気をとられていたけれど、高さ1,850mmはつまり幅1,850mmなワケで、それが想像を超えてデカイ。
しかも、棚板一枚に4箇所の木ねじを使って組み立てていくので、エライ面倒くさい。
しかも、組む場所が狭いため、足の踏み場もなく家中に棚のパーツが散乱し、もはや途中で止めるわけにも行かないけど、木槌でガンガン叩かないと組み進めず、階下のお宅への音もシンパイ。

大の男が2名でけんけんがくがくやりながら、完成して22時過ぎ、喜びもそこそこに設置部屋へさっそく移動開始!

ところが、なんと棚がデカすぎて、廊下から部屋に入るための回転ができない。。。
もちろん部屋の設置場所を採寸して購入したんですよ!ここまではじゅう~ぶんに計画的だったわけです。
しかし「本棚が廊下を曲がってくれない」のです。ぎょへ~~~!!!です。

ここから“スイッチバック”を試みること4パターン。ご存知ですか?スイッチバック。
そ~なんです、「ポイントを切りかえながらジグザグに動くこと」ですね。
「あっちの部屋に一旦差し込んだら、角度を変えられるから、コッチに入るのでは?」
挙句の果てにトイレのドアまで外しましたが、どうやっても「あと3センチ」くらいの幅が足りず、、、。ぐったり3名は言葉少なくビールでむなしい乾杯をして解散しました。

もちろん、翌日に気を取り直して全て解体し、設置部屋にパーツを移動して再度組み立てましたけどね。
つくづく、自分で買い、自分で運び、自分で組み立てるということが、こんなに面倒で大変なものとは。
実際にやってみると、もう二度とやりたくありません。
「人にお願いするということは、時間が買えるということ」という監査役の話がしみじみと脳裏に蘇ります。「お安くしてる分だけ、ご自分でどうぞ」というのは究極の“善意の解釈”ですな。
あ、そういや弊社の営業スタンスは「高いけど面倒は全て引き受けます」だったっけ。エライなぁ、アイデアパンチは。

今回もまた二日間とも大活躍してくれたR氏が「昔は“アッシー君”とか“メッシー君”とかいましたよね。今は“イケア君”ってのがあるらしいですよ。ふふふふ。」
うちの相棒も「気持ちわかるよ・・・・。オレも欲しいよ、イケア君」

2008年07月10日

先日、社内のスタッフと友人達とで初めて行って参りました、富士Q
もはや人間をやめなければならないような乗り物だらけで、世の中の進歩に改めてビックリしました。

皆さん・・・・わかりますか。理解できますか。コースターが「まっさかさま」どころか、反り返って降りてくるんですよ。
ええじゃないか

超前進の「ドドンパ」には頑張って乗りました、これもボスの見栄ですが、あれもコース後半にまっさかさまがあるんですよね。でも「ええじゃないか」の、どうみても後ろ向きに座らされ、ごろんごろんと転がる勢いにあわせ、がっちりホールドされたシートの隙間から素足がぶらんと揺れる様は、男性の地鳴りのような絶叫音と共に迫力満点です。私は地上から見上げているだけなのに恐ろしくて涙が出ました。

そう、私はコースターとお化け屋敷だけが苦手なのですが(なぜ富士Q)、とっても楽しくセグウェイに乗ってきましたよ。インストラクターのお兄さんに、うちのM嬢ともどもセンスが良いと褒められました。

いやいや、それよりも、連中の心臓の太いこと、毛でも生えてるんでか(北海道弁)。
梅雨の中晴れで余り混んでなかったため、小一時間も並べばなんでも乗れるのですが、「フジヤマ」乗って「ドドンパ」乗って「ええじゃないか」乗って「トンデミーナ」乗って、つなぎで子供だましのブランコに乗って(→これで私は目を回しました)、もう日も暮れるかなという頃に「最後にもう一回フジヤマ乗ってきまーす♪」といわれ。。。

私は「ハムハム王国」と「ゲゲゲの妖怪屋敷」で、それはそれは楽しく絶叫できましたが。。。

トンデミーナに乗って気づいたのですが、年をとって運動不足も慢性化すると、遠心力などの「他力」に身体を預ける「基礎筋力」すら無くなるんですね。意味も無く「落ちそう」に思えて本当に怖かったです。

でも、みんな絶叫で日ごろのストレスを発散したのか(約1名、押し黙って寡黙に乗っている人がいましたが・・・)気持ちの良い疲れをお土産に、無事に帰宅しました。やれやれ。


2008年05月30日

上京してまる10年。今年は11週目を走っています。あっとゆう間です本当に。

もともと扁桃腺が腫れやすいので風邪はよくひきます。しかも10年間の一人暮らしの不摂生がたたり、いつしか季節の移り変わりとともに毎回寝込むほどの風邪ひき体質になってしまいました。
その上、花粉症デビュー、食べ物アレルギーデビューを経て、不健康には本当に自信があります。

しかしこんな私でも、会社を興してからというもの、風邪罹患率が激減したのです。
おそらく
1:サラリーマンのストレスから開放された
2:設立時は一人っきり。物理的に人と接する機会が減った。
3:アレルギー症になって、風邪の諸症状との区別がわからず気づきにくくなった。
(オマケ 4:ちょうど週末に風邪を引いていて外出や仕事に影響が無かった)
ということが考えられますが、実は自分でも驚くほどに「1」の影響が大きかったです。実感できてましたからね。

そうこうしているうちに弊社も丸4年。4月から念願の3人体制になりました。みんな慣れるまでチョッピリ緊張の日々でしたが、さすがに2ヶ月も経つと少しは気持ちに余裕が出てきたように思います。
加えて、4月前後に重なった納品台風の一過でホッとひといき。
暑い日と寒い日の繰り返しで汗をかいたり肌寒かったり。
ウチのゴハンが増えて、なんだかんだとよく呑んでいる。

そう。
疲れがたまったところで、気が緩んだんでしょうね~。「体調管理も仕事のうち」なのですが、情けないもので、ダラ熱とクシャミ鼻水、咳、頭痛と続き、声もガラガラ。
ついに会社を休んでしまいました。
他のスタッフにうつしてはいけないからというのも大きかったのですが(→ホントよ)。

自宅で薬をのみながらベッドにごろん。太陽光であたりまえに明るい室内で、天井を眺めながらしみじみと考えてみる。「いったい何年ぶりに仕事を休んだかな?」
最後は覚えてないけれど、少なく見積もっても4年ぶりぐらいにはなりそうだ。
しかも会社は通常通りに営業していて、私の居ないところでスタッフが業務を回してくれている。。。お客様や外部のスタッフのみんなが、私の体調を気遣って一言くれる。

しみじみ。。。
ありがたいな~。
こんな安心感は久しぶりかもしれません。。。

これはもしかしたら4年間頑張ってきたご褒美なのかも、と思えてきて、心豊かな療養日になりました。

6月の年度末に向けて今期の数字も見えてきました。
緩やかな上り坂を、程よい負荷で登っていっている感じがしています。

2008年03月29日

私は3年前からひどい花粉症になってしまった。
しかも不摂生がたたって、花粉症を引き金に昨年から食物アレルギーになってしまい、食べられないものが結構ある。対象物は麦、米、二枚貝類、ゴマ、さやつき豆類など、覚え切れないほどあり忘れてしまう。

しかし治すポイントは、いわゆる蕎麦や卵などのアレルギーに苦しんでいる方々とは違い「避けずに食べる」ことなんだそうだ。理由は簡単、体が食べ物だと思わなくなってしまっているので、少しずつ食べて消化しては、体に食べ物であることを思い出させることがトレーニングになる。だからいろんなものを腹八分目に食べるのが治癒の最短コースなのだそうで。げにおそるべし、たんぱく質。

面白いのはアレルギー検査で判明した「シルク」。
程度によっては着用もダメだそうだが、私はそうでもなさそうで、じゃあいったい何がダメなの?と思うでしょ。なんと「シルクプロテイン配合のシャンプー」がダメなんですよ。そういえばなんとなく心当たりが・・・。

花粉症対策として、人から聞いては無責任に言いふらしている割に、どうもマジで効いているらしいのが「プレーンヨーグルト」ですね。初めて聞いたのは2年前で「毎日300グラムを一年間」。「え~。ま、毎日・・・・。」としみじみ絶句。しかしどうやら一日100グラム前後でも毎日続けることが良いらしい。鼻をかむたびにヨーグルトが頭に浮かぶが、来年のこの時期を目指して今年こそ頑張ろうかな。

胃は食べ物を分解するだけで、消化して栄養を吸収するのは腸だって知ってました?
人間の体は摂取と消費の繰り返しで、病気をしても、体調を崩しても、腸が消化して栄養を吸収している限り生きていられる。消化器官が健康な人は長生きしている(ような気がする)。

余談だがウチの実家に居る猫は、もう20年生きている。彼は家猫だからほとんど外出をしないので、病気ももらってこない。一年を通して温かいところで暮らし、餌に困らない生活でストレスもない。
しかしここ2年くらいは寝ているだけで、ほとんど動かないし、手足はヨボヨボで背骨が浮き出ている。月に一度、脳卒中のような痙攣を起こし家中を跳ね回っているし、耳や口は膿み、時に血だらけ、臭いも気になる、ついに排泄もトイレ箱に入るまでに間に合わないことが多くなった。
しかし、一日一缶の缶詰食とお通じだけは欠かさないのだ。実に立派な消化器よ。
祖母も父も見送ったこの猫が、もしかしたらこのままず~っと永遠に生き続けるのではないかと少し恐怖に思うこのごろだ。

2007年12月19日

年の暮れ気分は出ませんが、やはりやることだらけで落ち着かない日々ですね。

最近はやっと自宅に食卓がやってきて、ちゃぶ台生活からも脱却し、家っぽくなってきてより一層居心地の良い毎日です。
家での生活が多少落ち着いたこともあるので、先週末初めて社員や友人を自宅に招きました。
不動産購入にはいろいろ手間がかかりましたが、その都度仕事に影響が出ないように、皆さん本当にいろいろな力を貸して下さりました。
その皆さんへの「御礼行脚第一弾」というところでしょうか。

うちの相方が料理の腕をふるい、宴もたけなわのその時。
テーブルの角に座った私の対角線上の視線の先1メートルくらいに、ポッと明るい光りが…。
それは大きな楕円の、明るくて少しうすいオレンジ色で、発色も透明感たあり鮮やかで、リビングの壁は白いせいもあってか、あまりの美しさについ見とれてしまいました。

じっと凝視すること20秒ぐらいでしょうか。
フッと消えたっきり、現時点まで何の不調も不思議もありません。
一体何だったのか解りませんが、その場に居た人は全員気づかないようでした。

後日相方にチラっと話しましたが、相当怖いようで即座に打ち消され、、、、
まぁ気のせいということになりましたが。

ちなみに、私は霊体験だの、ナンチャラだのカンチャラだの、ということに、過去に一切縁もなく、興味もなく、又、今後もそのような人間だと思っています。
しかし、どなたかこういう体験をされた方、何か知っていれば教えてくだされ。

2007年11月27日

最近フト気になっていたことが頭に顕在化してきたのでそれについて。

買い物をしたときに購入者が販売者よりも丁寧にお礼を述べるシーンを見ることありません?
横に並んだレジでお金を払って商品を受け取った人が「ありがとうございます」と言って店を去っていくのを見て、ギョッとすることが増えました。特に若い人かもしれません。これって変ですよね?というか、これは変であるべきなのに、変に見えないことがおかしいと思うのですが、どうでしょうか。

私もどちらかというと過剰に礼を述べるタチなので反省することしきりですが、自戒も込めて白状します。かつて月々の納税に使う用紙をもらって深々とお礼を述べたことがあります。こちらが出向いた税務署のカウンターで、しかも申請したことへの対応なのに。毎月社名と住所と代表社名をいちいち書くのはとっても面倒で、そんなのに限って何度も書き損じたりすることも多く、その作業が無くなっただけで本当に嬉しい!と心の底から喜んでしまったのですが、納税者が専用用紙を手に入れてお礼を述べるとは甚だバカなことであります。ついでに言えば当然のように聞き流す税務署員もどうかと思うけど。

さて話を戻すと、この妙なお礼の原因は二つの理由が思い浮かびます。ひとつに、サービス業の完全マニュアル化、というか形骸化による弊害ではないでしょうか。
ケーキを買うと包んでいる間に持ち歩き時間を聞かれますが、その後にもうひとつ買い足すと、快く包みなおしてくれるけれど、持ち歩き時間をもう一度聞かれます。
支払額にお釣りは無いのに「ちょうどお預かりします」と言われたり。
(おつりを)お確かめください、と言われてレシートを渡されたり。
98円の会計に並んで、手に用意して温まった小銭ピッタリで支払ったりすると、販売員が予定している言い回しが動作に使う時間と合わなくなって、ズレちゃったり。あれってこちらも調子狂うよね・・・苦笑いすることもあります。

もうひとつは販売者の接客レベルの低さでしょうね。やはり、店を去る購入者の背中へは「有難うございました!」の一言で見送るべきで(そこに感謝の念が気持ちのよい情感で表されていれば尚良いけど)お金を払った直後に形式的な挨拶を受けることはあっても、そんな当たり前の挨拶に出会うことも減りました。
そういう店は、概ね購入者の気持ちと販売員の呼吸が合っていないから、気の効く人には居心地が悪く感じてしまうのではないかなと思います。きっと気の効く人が「場持ちの悪さ」というか「居心地の悪さ」を早々に察知してしまうから、会話の「間」を埋めるために、購入者が丁寧にお礼を言うハメになるのではないだろうか。。。

接客業の面白さは、丁丁発止というか今風に言うとライブ感みたいなところではないでしょうか。どんな相手であろうとも、一時の時間を共有し、気持ちよくお帰りいただく。そこに味をしめた客が、つい又足を運んでしまう。嫌な人を相手にする時ほど手練手管が要るし、再来店したら心の中で「してやったり」と。そんな人間くささが出る方が楽しめる職業だと思うけれど・・・。接客業の皆さん、対応は臨機応変に、マニュアル接客は返上しましょうよ!

そうそう、場持ちの悪い時はこちらもあえて無言で退場する図太い神経が身に付きましたが、たまに頭が下がるほど親身に接客してくれる方にも出会います。そういう場合、どうしますか?大抵、そのような販売者は丁寧にお礼を言ってくださるので、こちらも丁寧にお礼を言うとお礼の言い合いとなり、こちらの感謝の気持ちが白けた空気に変わる気がして、どうもスマートさに欠けますよね。
私は最近、退出の際に、なるべくサラリと「お世話になりました」と言うようにしています。これ、どうだろ?感謝の気持ちもこもっていて、言われた方も満更でもない様子で、ちょっと大人っぽい。これって素敵じゃないかな?若い人には言いにくいかなぁ、でも今度からこっちにしようよ!ねぇみなさん!!

2007年10月30日

先日、お得意様先の取材前に、早めに訪問しランチを共にしました。担当の方とカウンターに並んで美味しい和食をいただいたのですが、反対側の隣に座ったおじいさんに気遣って、食事途中で少し横にずれてあげたのが災いして腰を痛めてしまいました。

食事中は全く気づかず、席を立ち会計を済ませ、ビルの外に出てしばらく歩いたら、どうも腰が痛い。ちょっとしびれるなぁぐらいにしか考えずに歩き続けてみても、痛みは秒単位で強くなっていき、急にがくんと歩調が落ちてしまう。横で一緒に歩いている方も異変に気づき、おや?という顔をし始める。何とかごまかそうとするが、気持ちとは裏腹に体はどんどん動きにくくなる。折り悪く道路の向こうへ渡りたい信号がチカチカするが、その時には歩くのも精一杯になっていて、うっかり駆け出したらその瞬間に足がもつれて顔から転びそうだ。

これはのっぴきならないぞと覚悟し「どうも腰が痛い」と告白するが、既に私はよちよち歩きでしか進んでいないことに気づく。そこから100Mも歩いたかなぁ。先方の事務所になんとか辿り着いて、背もたれのある椅子にありつくが、もうダメ。もう明らかにダメ。先方は「きっと疲れがたまっていたんでしょう」と気遣ってくれるが、それももうウワの空で、明らかに自分の頭の中には良くなるどころか悪くなることしか浮かんでこない。

そうなると今、この場の仕事をどうするかである。もうそのことと、動かない体をいかに自然に見えるように動かすかで頭がいっぱいになってしまう。タイミング良く到着したうちの若手に要点を引継ぎ、帰ることに腹も決まった。その頃にはもう、来てもらったカメラマンに挨拶するにも椅子から立ち上がれない。座っていても上体も曲がらない。取材部屋への螺旋階段が上がれないし、笑顔すら苦痛になってきた。

その場にはいかにも邪魔であることが明白なので、思いつく限りを想定した指示をカメラマンに出し、お詫びをして、私だけそそくさと退散し会社を出る。しかしもう体がいう事をきいてくれず、敷地の外に出るのに全ての体力を使い果たして、通りがかったタクシーになだれ込む。あーあ。やっちまった。完全にヘルニアだ!!!

翌朝時間を作って病院に行ったところ、どうやらお尻の左側の、ちょうどほっぺたの部分のスジがビシビシに凝っていて、そこを庇った結果が腰への負担となり「半身ヘルニア」になったのでしょう、そんなお見立てでした。やっぱりカウンターに座って、小一時間体が傾いていたんだなぁ~。

月末に休める余裕のないワタクシは、月曜から水曜まで友人の車に朝晩と送迎されて通勤しています。文字通り、重役出勤ですわ。
腰が痛いと、動くのもつらいが、じっとしているのもつらい。
こんな時ぐらい家でゆっくり休んだらどうかと進言され、実はかなりそそられました。よく考えたら今年に入ってからは、1日ゆっくり休んだ覚えがないしなぁ~。

しかし「こんな体じゃどうせ寝てる以外は何もできないんだし、頭は通常通り働くんだから寝るのも惜しいし、時間がもったいないから仕事に行くわ」と言ったら「いろんな考え方がありますね」と。
第一、ギックリ腰で休暇なんて、言うのも恥ずかしいしね!!

今年の記録的な体調不良に落ち込んでいたのですが、思わず「寝てるぐらいなら働く方がマシ」と答えた自分にひとすじの希望を感じたのでありました。
まだまだいけそうね、私。

2007年09月28日

お陰さまで、あちこちから仕事のお話をいただく毎日ですが、それに加え、ここ半年ぐらいの忙しさの大きな理由のひとつであった「引越」を、先日やっと完了しました。
私の人生で、最初で最後の大きな買い物(のひとつ)だと思っています。

何がお得で、何がもったいないのか。
社長業とはいかなる価値なのか。
生活するために本当に必要なものって何だろうとか。
将来ってどのくらい先のことかなとか。
かなりのことについて、判断を迫られた、貴重な半年間を経た引越でありました。

しかし、フルコースの試練(?)の実は、なんという美味しさでしょうか。極度の疲労で体調が思わしくありませんが、この療養のために引越したのかと逆説的に思えるほど快適な生活です。
年中花粉症で、仕事が趣味である私には、自然とか住宅街とかターミナル駅という選択肢が無く、「都心に少しでも近く、少しでも広く、会社に少しでも近く、住みやすそうな場所」を選んだのですが、この景色は外玄関からの景色です。
新宿一望

ちなみに、代々木のドコモタワーは弊社のすぐ裏(立地だけ)。
お陰で都内の高い場所へ行くたびに「おぉあそこがうちの会社の近くか」としみじみ感じることができて、これが結構嬉しいものなんですよ。

判断は迷いっぱなし、審査はひたすら厳しい、モタモタしているうちに階下がどんどん売れて行き、気づけは上から数えた方が早そうな高層階の入居となってしまいましたが、、、。素敵な副産物です。
ちなみに、うちの相棒は高所恐怖症ですが、バカと煙と私はそんなのお構いなしです。。。

2007年08月23日

3年前、2005年の春から花粉症デビューした。最初はスギ花粉だけだったが反応が激しい。
患って初めて知る周囲の「花粉症の先輩達」を相手にいろいろリサーチすると、ある人が「罹った年が一番激しくて年々落ち着き、そのサイクルが5年周期でやってくる」と教えてくれた。クシャミで呼吸が出来ないし鼻水はダラダラだし、もう一生治らないと聞いたので、とにかく「緩和する翌年」を心待ちにする生活だった。

2年目はゆるい漢方薬を飲みながらも、薬慣れしていないせいか眠気と戦うのが辛く、一進一退。
目はかゆいし、一見キレイそうな場所も埃に反応しどこに行ってもダメ。あまりに反応が酷くて周囲が心配するので、花粉症患者であることを少しオープンに表明しだした。すると「ヨーグルトを一日300グラムくらい食べ続けて1年が過ぎたら今年は嘘のように楽」という人に出会った。当時の私より酷い症状だったと話すご当人はまるで花粉症に見えない様子。この年から秋にも反応が始まる。

3年目。散々「ヨーグルトがいいらしいよ」と吹聴して歩いたにもかかわらず自分は数ヶ月で断念したが、意外に酷くない。しかし周囲はとても調子が良いと解り落胆。一方で別の花粉症仲間が皮膚にブツブツが出て、今年は痒みが辛いという話を聞く。自分はクシャミも鼻水もあまり出ず、意外に酷くないよと表明していた。その後、首筋にカブレのような湿疹が発症する。7~8年前から何度か出ていた原因不明のカブレと同じもの、同じ場所だ。
あまりの酷さに皮膚科で弱めの軟膏を貰うが、塗ると瞬間的に改善し、薬を塗った外側の周囲へカブレが移動するようだ。それを繰り返し、ついにカブレは首を一周。さらに肘の裏、背中、膝の裏へと広がっていく。

そのうち食事時に首をボリボリ掻いている自分に気づいた。
なんと花粉症に端を発し、ストレスと疲労から食物アレルギーになっているという。調べれば、米、麦、とうもろこし、ジャガイモ、たまねぎ、さや付きの豆、二枚貝・・・普段食べているもの、むしろ好きなものにどんどん反応しており驚くやら悲しいやら。

食べ物は消化しきれずに体内に残ると、体の学習能力で「食物ではない」とみなしアレルギー症状へ繋がるらしい。だから消化しにくい糖分を極力摂らず、夜遅い食事も避け、消化の良いものを食べるようにお医者様から指導される。少しずつ色んなもの腹八分目に食べることがアレルギーの人の食事のコツだとか。グルメはダメだよと念を押されてしまう。

さらに汗をかくなといわれる。直射日光に当たらないように、とも。汗は体が排泄した物質が混ざっているから、体表に残さず常に洗い流すよう指示される。しかし実際は湿疹に汗が沁みて痛い上に、日光に当たるとヒリヒリしてやけるようだ。
疲れたり夏バテしないように釘をさされ、通院と検査を繰り返すのちに、何とかという免疫抵抗力を表す数値が極端に低くなり、免疫力が特別に落ちていることが判明。睡眠時間と休息の確保、ストレスを軽減する生活を厳命される。仕事より難しい。

体力が極端に落ちているのが引き金になったようだから、とにかく体調を戻そうという話になる。アレルギー反応が出た食べ物は避けずに少しずつ食べ、体に慣らしていくことが肝要らしいです。あ、後天的な原因といろいろな検査の結果なので万人がそうではありませんから気をつけてくださいね。
しかしつくづく思う、これは病気か、ただの不調か。子供の頃から風邪ぐらいでは休ませてくれなかった家庭に育ったので、自分をどう処していいのか戸惑ってしまう。

犯罪を犯した人の精神鑑定や、朝青龍の問題なども重ね合わせて感じる余談だが「医者が病気だという前提で見るから病名が付く」程度のことが世の中に多すぎやしないだろうか。また私も含め、病気ではないが不調・不快であるといった不定愁訴に悩んでいる人も多いように見受けられる。また昨今はうつ病などの精神不調を抱えている人も格段に増えているように思う。複雑で、ややこしい世の中は、体調不良の原因を探すのにも一苦労だろう。

私は医者に診断を頼るけれども薬は嫌い。自然治癒という、体が本来持っているはずの力を信じたいと切に思う。これが自分を産み健康に育ててくれた親への礼儀かな、と。気の持ちようで軽減するようなことは無いものなのか、世の悩める皆様のためにも、気の持ちよう+αの中で心当たりのある手法を探って自分の体で人体実験してみたい。もう少し涼しくなったらいくつか実践してみよう。
2007年後半は体調不良から逃げることを止め、対峙して闘う年についになりそうだ。

2007年08月17日

花火といえば人ごみしか思いつかなかった人生でしたが、友人のクジ運のおかげで行ってきました「東京湾大華火祭」。(開催:平成19年8月11日(土) 19時~20時20分/打上げ花火数12,000発/観覧会場:中央区立晴海運動場ほか)

事前の集合は15時都内某所。汗だくでたどり着けば、お重入りのお弁当やクーラーボックスに溢れんばかりのビール、焼酎、ウーロン茶が用意され台車(?)に積みレッツゴー!!
予想より早い交通規制や開門待ちを潜り抜け、開催合図の花火にドキドキしながら、全7名はぐれることなく会場入り。時にして約17時。

どの空に上がるのか、軽く相談しながら座るエリアを選び(選べるぐらいの時間に着いていた)みんなで花火待ちの腹ごしらえ。暑い中にもビールが旨い!軽く良いながら取り留めのない会話は弾み、箸が進む(ロシアンルーレットだった稲荷寿司は、人の分まで平らげた私がゲット)。チケットを当てた友人もそうだが、その会社のスタッフである青年Kも上手な「気配り王」で実に良いなぁと関心しつつ、その親切にすっかりお世話になってしまった。

19時。カウントダウンの声にあわせて開始の花火がズドーンと上がる。想像以上に目の前だ。ドン・ドンという音が心の腑に響き、否が応にも気分は高揚してしまう。今回は20回記念で20の数字が何度もあがる。風があるとせっかくのフォルムも流れてしまうが、この日は風がないせいで爆発した煙が流れず空に残ってしまい、花火がニゴってしまうことがあって少し残念(初めて知った)。
ちなみに、下の写真の画面左下に見えるのはレインボーブリッジです。

hanabi_a.jpg

hanabi_b.jpg

行きに1時間、帰りも1.5時間程度歩き、やっと築地辺りにたどり着いたはものの電車が混んでて乗れないというアナウンスを聞き(1万人が終結したそうなのでやむを得ないですよね)皆で軽く二次会へ。

子供の頃、夏休みといえば朝のラジオ体操と、お盆の盆踊り、花火大会だったなぁ。日ごろの仕事も悩みも忘れ、童心に返るっていい気持ちになるんだなぁと実感した、久々の大イベントでした。
また来年もあたるといいなぁ~~!!


2007年07月10日

弊社、組織変更いたしましたところ、お得意様よりお祝いのお花を頂戴しました。そのお心遣いに感激しつつアップします。今はこんな緑色の蘭があるんですね。
名前は「グラマトフィラム」だそうです。
グラマトフィラム
思い起こせば、初めて事務所を設けたときにも“ピンクチャンピオン”というアンスリュームを頂戴したのですが、園芸能力ゼロの私にとって「来年も咲く」ことは難題であることを実感させられたのでした。
温度に気遣い、水遣りに気遣い、植え替えもし、3年かかって、花が咲くには水と太陽以外に「栄養」が必要という、やや当たり前のことを知りまして、やっと肥料を与えました。
今年はやっと、花芯らしきものが芽生えてきています。
わが事務所ではお兄ちゃん的存在の「カポック(らしきもの)」が、数ヶ月の大規模修繕による暗い事務所での日々にすっかりまいっていますが、これで植物3兄弟。
育成に今日も明日も頑張ります。