2009年08月

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2009年08月26日

子供のころから痛みに弱い私は、歯が痛い、お腹が痛い、転んで擦りむいた膝が痛いなど、いちいち痛い痛いと言っては親に怒られていた。うるさい、大袈裟だ、というのである。
確かに、この世の終わりかと思うような痛みを経験したのは、約40年生きてきてせいぜい2回。人生の殆どの痛みは、のどもと過ぎればなんとやらで、殆どけろりと忘れている。

しかしこの「痛みによる辛さを解ってほしい」と「他人から見れば大袈裟なこと」のもどかしい兼ね合いは、実は一生ついて回る心情だったことに最近気づきました。
仕事も、体調も、恋愛も、貧乏も、辛さは本人のものだけで、他人には想像できても体験はできないし、どれだけ辛いかを最高級の表現で尽くしても、やっぱり他人には伝わらない。
「痛いのよ。ねぇわかるでしょ?」と言って歩きたい性格の私には、なかなか付き合いにくい現実のひとつでした。

それでも、まだ若くて他人より尖っていたいと思っていた頃は、人を説得するということを諦めた時期もあったし、他人と距離を置いて生きていた。これが実は結構簡単で、自分以外の他人とは、腹に一物あっても知らんぷりすれば良い訳で、ラクチンなんですよね。自分はどんどん可愛くなるし、心がこもっていない分だけ他人に愛想も良かった。ちょっとした討論も簡単で、あぁ今にして思えばあの時の私は「なんて嫌なやつ」だったと恥ずかしくもあり懐かしくもアリ。。。

でも、この年になると、その「伝わらない実感」に新たな要素が加わってきました。
「納得」です。

「これで出来上がり(のつもりなの)?」と聞く場面が結構多い。
「これで良いと判断したの?」というバリエーションもあります。。。

芸能人じゃあるまいし、ヒトは普段から自分の思うことをいちいち整理して生きてはいない。でも、どうしたいのか、何をやりたいのか、どこまでやれば納得するのか、自分の頭と体を使っていながら、自分で気づいていない人は少なくない。
これが仕事の場面に出てくると結構厄介である。
「ここであなたが納得していても、商品になるほどの価値はついていませんよ」
そう言っても当然ピンとは来ない。
「あなたがどれだけ辛いと思っていても、まだまだ精度が足りませんよ」
これもまた鬼の一言なんですけどピンとこない。

友人がよく言ってくれる事ですが、「“やったつもりでいる”ことと、“やれた”ことはそもそも次元が全然違う」。そうなんですよね?。
「仕事は自分のためにやるんじゃない、他人のためにやるから面白いんだ」けだし名言ですな。
仕事は言うまでも無く商売であり、作り上げた価値をお金に替えなければいけない。お金を払うのは自分でもない、会社でもない。お客様であり、それによって何らかの得をしたいと思っているアカの他人である。

自分の持つ心情とは桁違いに縁遠いところで生活している他人に、せめて多数決で共感できるものを提供し、その代価をもらうことが仕事。そのハードルの高さを肌で感じる事ができないと、始まらない厳しさなんだと思います。

どうやって、この目線まで物事の価値観を引き上げてあげられるか。私の目線を高く維持する事だって、決してラクではないのに。。。
この感覚が、私の痛みをわかってほしいんだけどきっと無理ですよね、という気持ちにかなり似ている。しかし、もう若い頃のように自分だけ庇護して生きてはいけない。無理を承知で、納得させるまで頑張るしかないのです。

お客様にも、スタッフにも、そして自分自身にも。
年をとるって大変なんだなぁと改めて思うこのごろです。