データの落とし穴?
ウチのウェブ関係の仕事でデザインを手がけてくれているスタッフと、データの仕上げについて話していたら、ひょんなことから、同じデータを開いてもお互い見えているものが違う場合があると解りました。
やり取りの不備もあるでしょうから反省点は盛りだくさんですが、今や総デジタル化の時代。スタッフ間も、お客様とも、やり取りの大半がデータです。
先日ある仕事で支給された原稿を開いたら、ソフトの機能と使用者のスキルの相乗効果なのか、そのデータの更新情報がドッサリついてきていました。画面に表示されたものは見るからにゴチャゴチャで、当初の話とは違うため、その意図を問い合わせた訳ですが、先方は必要最小限のデータを渡したまでのこと、としか認識していない。つまり受け取った我々に見えるドッサリとした付帯情報が、彼らには目視できないということが確認によって判ったのでした。
原因は良くわかりません。おそらく、話し合って判るものでも無いような気がしました。
しかし、お互い異なるものを見ているのに、話は同じものとして進んでいくことになったかもしれず、この差を埋めるために発生した作業に万が一のことがあったら、誰が責任をとるのか。これは怖いことです。
また、ある文字列の画像データをひとたび200%で書き出すと、エッジがなぜか「美しく効いて」しまい、どうやっても同じものに見えないこともありました。縮小ならまだしも、拡大して美しくなるとはどういう効果なのか?同じ環境で、同じ素材から始めている作業にも関わらず、違いがでる。これもおそらく原因は判らないような気配です。
色データについてもそうでした。指定色のものを専用のソフトで開いているのに、バージョンが違うと、開いただけで数値が変更されていることもありました。バージョン違いで支給されているデータですらこうなる訳で、もはや誰のせいともいえない無力感が漂います。
アナログ時代なら、版ズレも、余白の均等さも、ドブの幅も、色指定も、画像のアタリも、注意深い目視でカバーできました。しかし今は、お互い同じデータを見て電話で話していても、さまざまな要因によっていつのまにか変換されていて、当人同士がそれに気づかない。
おかしなことに、納期などで切羽詰まっているときは、みな「同じもの」という前提で仕事に使っているため、違いが生じていることに気づきませんが、時間を経て落ち着いて眺めてみるとまるで違うこともままあります。
どこかで読んだのですが、店先で買おうかどうしようかをとても迷っている時、その商品はとても素敵に見えるのに「よし!買う!」と決めた途端に、その商品が色褪せて見え、アラにたくさん気づくことがある、というのと似ているように思います。冷静に落ち着いて見られないのは、余裕がない証拠です。
余裕の無い仕事の進め方は大いに反省しなくてはなりません。
アイデアパンチの8つのスピリットのひとつに「物事の中心をはずさないこと」というのがあります。
まさに、ここがキモかなと思うのですが、支給された情報と、それを使って発生する業務が目指す目的は必ず違うはず、ということを忘れてはなりません。
クリエイティブワークは、膨らませて価値を創造する目的において、不要なことをそぎ落としていく作業も不可欠なはずです。右から左へ動かすだけでは“ブレ”に気づかない。時間や予算のない仕事の中でここを見落としてしまうと、仕事の精度が甘くなっていく。
ディレクションする立場で関わっている以上、お客様目線で立ち回る一方で、ブレない軸を練り上げていく。ここしばらくは、これが曖昧なまま進めていっていた仕事もあったように思います。
“アイデアパンチ”をプランニングしていく総ディレクターとして、怠慢だったのではないかと反省することしきりです。
どうやって改善していこうか、また悩みが一つ増えましたが、気づく事ができてよかった。不景気で仕事がないとみんなが嘆いている時代に、こうして気づく事ができる材料が周りにあるということに、感謝しなくてはならないと感じています。


